加盟団体紹介
チーム絆花
―現代版組踊推進協会 加盟団体紹介 その9―
一般社団法人恵庭青年会議所 40周年記念事業として、舞台稽古の感動体験から夢や心を育み、人や地域のつながりを創り出すことを目指し、チーム絆花を設立しました。
「絆花 HANKA」というチーム名・舞台名には、活動や舞台を通じて、今はまだ“種”の自分たちが絆を大切にして、たくさんの夢や笑顔の花を咲かせたい。そして花には水や光などの栄養が必要なように、自分たちも周りの多くの人の支えによって活動ができていることへの感謝を忘れずに活動するという想いが込められています。週1回〜2回程度稽古をおこない、今年度より絆花父母の会設立やさらなるつながりの和を広げながら活動中。
チーム絆花(北海道恵庭市/2011年~)


この地域がとても好きな絆花(はんか)という女の子が手に持っているのは、なんとも不思議な本。読みふけるうちに昔の人と出会う事ができるのです。「この街はいつ頃できたの? 昔の人はどんな人だったの?」という疑問に本が示した時代は1869年(明治2)でした。明治維新も終わりをつげ、日本の夜明けともいわれた時代に北海道開拓使で活躍した、松本十郎が出てきました。
松本が話し始めたのは、北海道の稲作の父と呼ばれた男、中山久蔵の生涯です。当時43歳という年齢にもかかわらず、仙台藩から島松の地に足を踏み入れ、極寒の北海道で稲作は無理だと考えられていた時代に、お米の通年生産に成功し、常識を覆した人物でした。
成功までの道のりは、まさに壮絶な戦いです。冷害・水害・イナゴの襲来などの自然災害が何度となく何年にもわたり受けるのです。さすがの久蔵もついに心が折れ、希望をなくし途方に暮れていた時、遠くから聞こえてくるムックリの音色が優しく語りかけるのです。アイヌの人たちは年世代にもわたってこの地で生まれ、育ち、暮らしているのだ、自分と同じ人間ではないか、と考えました。同時に自分の故郷である河内国の聖徳太子の教えも心に噛み締めながら、再度挑戦します。妻のトサや一緒に稲作を行った六次郎、中岡、村上などに支えてもらいながら、一反の水田から330kgの黄金色のお米を実らすことに成功するのです。
そして新たに、全道に稲作を普及させる、という目標を立てます。一番出来の良い種籾(たねもみ)を無償で配り、全道どこにでも農業指導に出かけ、確立された新技術を惜しみなく伝える久蔵に見かねてしまう仲間たち。それでも伝え続ける久蔵の夢とはなんなのでしょうか。この物語を聞いた絆花は、またひとつ考え事が増えるのでした。

現在、恵庭市・千歳市の小学校5年生から高校2年生でメンバーを構成。
「感謝の気持ちを大切に。何事も楽しく、一生懸命に
あたりまえのことをあたりまえに!」が絆花の掟です。
北海道特有の!?シャイな部分もありますが、内に秘めてる熱い開拓者魂をもって
みんなで楽しく活動しております。

恵庭はもちろんお隣の千歳市や北広島市のメンバーの輪も増やしながら、
市外の公演も視野に活動。
2年後を目標に恵庭JC中心の関わりから、
市民団代を立ち上げて絆花自主運営を目指していきます。
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